佐藤めがねの闘病記録

子宮平滑筋肉腫と告知されました

告知 2016年10月

別室での内診が終わり、外で待っていた父と一緒に個室に戻りました。
先生が慎重に言葉を選んでいるのが分かります。
 
「残念ながら、肉腫と思っていいでしょう。
 タチの悪い病気です。」
静かに言われました。
 
診察の流れ、先生の空気から察していましたが
それでも直前まで違う結果を期待していました。
そんな言葉を聞きたかったんじゃない。
全く信じられませんでした。本当にこれは現実なのだろうか。
 
「再手術をした方がいいでしょう、このまま残しておくのはあまりにリスクが高い」
あっさりと再手術が決まり、
手術とそれまでの検査についてその場で全部予約しました。
CTMRI、術前検査、入院日に手術日まで。
N病院と違い患者数が多いので予約は最短でも半月後でした。
最初の筋腫の手術では段階的に検査を進めていったのに比べて
本当に一瞬で全日程が決まりました。
 
先生の説明は続き、術後は抗がん剤治療をすると言われました。
手術の結果によりますが強く勧めます、と。
はいそうですか、しか言えませんよね。
全ての説明に私はうなづくばかりでした
 
私の父は耳が悪く、またその日初めて私の病気を詳しく聞いたため
ちんぷんかんぷんだったと思います。
お父さんは分かっていないだろうから、私がしっかり聞かないといけない!と
泣くのを我慢して、しっかりしようと強く思いました。
私が聞き逃してはいけない!!
でも、そう思い焦るばかりで話は頭に入って来ず、
何か質問は、と聞かれましたが何も出てきません。
生きていけるのか聞きたいけども、ストレートに言うと号泣しそうです。
それに、悪い答えが返ってきたら?
 
何も考えられない頭で必死に考え、
CTで転移が認められず再手術で摘出すれば未来は明るいのでしょうか」、
と震える声で先生に尋ねました。
 
先生はまたしても黙ってしまいました。
しばらくして、この段階ではなんとも言えないという答えが出ました。
 
目の前は真っ暗です。
 
入院は大部屋か個室かどちらが希望かを聞かれ
最初がそれ???とちょっと笑いが出そうになりましたが
大部屋を予約し、
まるでお通夜のような個室を出ました。
 
父はやはりあまり聞こえていなかったようで
事の重大さは私の雰囲気から読み取るのみでした。
あまりショックを与えてはいけないと思いましたが
かといって明るくふるまうなんて無理です。
せめて取り乱さないように、とにかく落ち着いてお会計をすませ
病院を出ました。
 
時間はお昼をまわったくらいでした。
お腹すいたよね、駅前で何か食べてから電車に乗ろうと提案し
牛丼屋に入りました。
 
でも。
お腹は空いているのですが、まったく食べられませんでした。
文字通り、箸が進みません。
結局半分以上残し、電車で実家に帰りました。
少し乗客は多かったですが
「お父さんが絶対に席を確保してあげるから」と
私の座る場所を探してくれました。
ありがたかったです。
傷口の痛みは本当に痛いのか気にしすぎなのかは分かりませんが
お腹をかばって座っていました。
 
この時何を考えていたのかは、思い出せません。
頭の中は、真っ白というか真っ黒でした。
 
帰ってから何をしたのかも覚えておりません。
ただただショックでした。
死にたくない、それだけでした。