佐藤めがねの闘病記録

子宮平滑筋肉腫と告知されました

最終診断!の前に一難 2016年11月

MRIから約一週間。
気持ちもかなり落ち着き、週末は実家に帰ることなく
友達と電車でお出かけしたりしていました。
少しゆっくり目ではありますが、乗り換えありの電車で20分の往復に
なんの不便もありませんでした。
歩調を合わせてくれた友達に感謝です!
 
そしていよいよ最終診断。まだ希望は持ってる!!
 
の前に。
まずは乳腺外科です。
何もないと思いっていたのでここは全くもって気楽でした。
 
しかし。
まず目に飛び込んできたのは画面にある「乳がんの疑いあり」
 
・・・・・え?
 
鼓動が早まるのがはっきりわかりました。
私が着席すると先生はすぐ本題に入ります。
細胞診の結果がクラスⅢで更なる検査をした方がいいということ。
現在病変の途中かもしれないので、
次の検査ではその変化が良性なのか悪性なのかを調べること。
決して現段階でがんと決まったわけではないということ。
 
言われるがままにその部屋で組織診をすることになりました。
細胞診までは色々とネット検索していたものの
それ以上進むことはないと思っていたので何も調べていませんでした。
今日は今後の検診について、会社の健康診断でよいのかを聞くつもりでしたし。
 
麻酔をして組織を取ります、少し大きな音がします、複数回取ります。
簡単な説明を受け(実際は簡単ではなかったと思いますが頭が真っ白で記憶なし)
とにかく早く終わってくれ、という気持ちで目を強くつむりました。
 
ただ、気持ちの面で婦人科と決定的に違うのは
良性の可能性が高いという安堵感を持てたことです。
クラスⅢは7~8割は良性だと説明されましたし、
先生が検査前から何度か「顔つきが悪いと感じられない」と言われていて、
怖かったけどさすがにこっちは大丈夫だろうと
どこか楽観視している部分はありました。
何かあれば今度の手術の時に一緒にとってもらえばいいし!みたいな。
(※この後先生に確認しましたが、同時に手術はできませんというお返事でした)
 
筋腫は9割が良性と言われるなかで私は肉腫になったのに、
7~8割というさらに低い確率に安堵するのもおかしいのですが
エビデンスが多い7~8割と希少がんの9割というのはは
確実性が違うんだ!とね、そう感じていたんですよね。。
(よく考えるとちょっと解釈を間違っているんですが、
 まぁ前向きになれたんでいいんです笑)
 
組織診の手順は麻酔→切開→採取だったと思います。
ネットで調べればすぐ出てきますが、予備知識なしだったので
切開したと途中で気づきました。
めっちゃ焦ったのですが、もう麻酔してますしどうしようもないので
先生の手元は見ないようにして目を閉じて早く終わるよう
ずっと神様にお祈りしていました。
 
痛みについては、細胞診の方が痛いと感じましたが
不快感は断然組織診のほうが高いです。あの衝撃たるや。
いち、にい、さんの声かけでバチン!と胸に響きます。
採取したいところがかなり胸の筋肉に近かったらしく
なかなかいい場所に器具が届かず、かなり探られました。
そこまで痛くはないのですが、怖さが半端なかったです。
また、その日担当してくれた先生が新人のようで
先輩っぽい先生と二人がかりでエコーと器具となんやかんやしながら
しまいには先生が交代し、全部で6回くらいバチン!とやられました。
 
切開はかなり小さいので、検査後は縫うとかはなく、
5ミリ程度のテープを貼っただけです。
下着も問題なく着用でき、着替えた後はいつも通りに検査結果の日程を予約しました。
先生の提示した日が術後三日目だったのですが
外来に来られないのであれば、先生が病室まで来て下さるということで
じゃぁその日でいいか、と入院中のその日に予約を入れました。
 
この切開した傷の痛み、翌日までちょっと残っていました。
痛みが強い場合は市販の鎮痛剤を飲んでいいと確認していたので
痛み止めを握りしめていましたが
「そこまで痛くなることは稀です」と先生が言われた通り
結局飲むことはありませんでした。
しかし、午後はずっとズーーーーンと鈍い痛みがありました。
心も身体も疲れていたのでもう出勤したくなかったんですけど
私は頑張りましたよ!!
めっちゃ自分をほめたたえてあげたいですね!!
 
気持ち前かがみになりながら
母が待つ婦人科の待合室へ向かいました。
母はもうついていたので、
組織診までやったよ、と報告し
二人で番号を呼ばれるのを待ちました。
 
告知の日のことを思い出します。

やっぱり、この電子音での呼び出しはとても嫌いです。