佐藤めがねの闘病記録

子宮平滑筋肉腫と告知されました

1回目の術後検診、最後のN病院 2016年10月

こんにちは。
ドラクエビルダーズから始まった私の旅は
現在初代PSのドラクエ4まで進んでいます。
ピサロを仲間にしたところであとは最後の敵を倒すだけなのですが
その前に移民の町を何種類完成させようか悩んでいるところです。
全部はさすがにめんどくさい…


さて。話を戻します。
術前検査としてCTを撮りましたが、同時にその頃は術後でもありました。
手術をしてくれた病院では一か月後に術後検診がありまして
CTの結果から二日後、N病院へ行きました。

ふと、「これがこの病院では最後になるのかな」と思うと
考えただけで涙が出そうになり、
バスの中で泣くのを一生懸命こらえていました。
 
受付を済ませ待合へ行くと
入院中に同じ病室にいてスリッパがうるさくてたまらなかった患者さんが
ものすごく颯爽と歩いているのを見かけました。
私より後に処置したのに全然違う。
退院後すぐ戻ってきたのに一ヶ月でこんな元気になるんやな。
今であれば腹が立つのですが(ただの八つ当たり)
この時は、なんだか自分との差を目の当たりにし悲しくなってしまいました。
あの人はあんなに元気なのに、私は開腹だったからこんなに痛くて
悪性だから、また手術するしあんな風にすたすた歩く日はくるのかしら……
(自ら悪く考え落ち込んでいくスタイル、今思えばほんと馬鹿らしいです)
 
術後一ヶ月検診は採血と内診でした。
先生は以前と変わらず淡々と結果を教えてくれます。
貧血も改善され、内診でもおかしなところはないという事でした。
私も大学病院での検査結果を伝えました。
悪性であったこと、再手術すること、CTでは転移がなかったこと。
転移がなかったことに先生も一緒に安心してくださったようでしたが
これからですね、と言われていたので
「じゃぁ大丈夫ですね!」とはならないのかーと感じ、気持ちが沈みます。
医師というのはそう軽々しく将来について言及できないのは分かりますが、
自分の予後について明るい見解を誰からももらえないのは
やっぱりちょっと辛いものがあります。
せめて「死にはしないよ」と言ってほしい。
 
先生との会話でふと気づいたのですが、
一切直接的な表現をされていませんでした。
今後についても「ものを取ってから」「とった組織を検査して」と言われており
気を遣ってくださっているんだな、というのが分かりました。
なのに。
それに気づくと返って意識してしまいつい自分で「子宮を取って……」と言ってしまいました。
そこから自分でもびっくりするくらい大号泣。

先生はしっかり手を取って「今後もなんでも協力します」とおっしゃってくれました。
「あなたの年齢ではやはりつらいことだと思う。
大きな決断だったことでしょう。
大学病院の先生は男性ですし、何か言いづらい事があったら私に聞いてください。」
ものすごく励ましてくださいました。
 
以前のブログにも書いたのですが、
子供を産めなくなる悲しみについてはそれを考える余裕がなかったのですが
告知後にそのことでわんわん泣いたのは
この時が初めてでした。
やっぱり悲しいんだ、私はこのことをつらいと感じているんだと
実感しました。

そのままそこで泣き続けるわけにもいかないので
何とか涙を拭き、ぐずぐずの状態で病院を出ました。
本当はこの日の午後に大学病院の乳腺外科を受診する予定でしたが
(健康診断で要再検査だったからね!やだやだ!)
受診に時間がかかったためMRIの日にむりやりねじ込むように
日程変更をしてもらい
その日は午後から仕事へ向かいました。
 

今でも悲しくなる時はありますが
別にそれについては前向きに考える必要もないと思っているので
それはそれで心にそのまま置いています。
 
うまく言葉にできません。
決して悲劇のヒロインぶるつもりはないですが
私にとってはそれなりに悲しいことです。
この年ならたとえ摘出してなくても厳しかったんだろうと
そう励まされる時もあるし、自分の場合はそうだっただろうと思います。
でも、とある産婦人科の先生のコラムにあったのですが
産まないのと産めないのは違う、とも思います。
 
自分で自分の感情が読み取れないです。
 
まぁ、そういう時はそのままでいいのかなって
そう思っています。
生きていればいいこともある。
というか、生きていることがもうそれだけでいいことですからね。