佐藤めがねの闘病記録

子宮平滑筋肉腫と告知されました

2回目の手術当日、術後 2016年11月

こんにちは。
すっかり秋になってきましたね。
というか、もう冬でしょうか。
街中ではクリスマスソングが聞こえてきます。
時間の速さにとても驚きます。

明日で手術からちょうど3年です。
この日を何事もなく迎えられたことに感謝し、
明日はお祝いのケーキでも食べようかな、と思っています(*´ω`*)
全ては、家族や友人・知人、それから仕事関係の方々の支えがあったからです。
本当にありがとうございます。
月末にCT検査があるので、だんだんとナーバスになってきていますが
大丈夫だと信じて病院に行きたいと思います。

それでは。
前回のつづきの術後について進めたいと思います。
いつもより少しだけ短いです。多分。
治療を通してつらかった時期は
精神的には、告知後の10日くらいで
肉体的には、この2回目の手術の当日夜でした。
前回もきつかったのですが、今回の方が何倍もきつかったです。
でも回復は、前回よりすんなりといきました。

麻酔と体力が影響したのかな?と思っています。
回復については、医学的に分かり切っている臓器の摘出なので
痛みも少なく出血も抑えられた分、前より早かったのかも?とか。
気持ちに関しては全然違いましたが、それが関係したようには思えません。
どちらも後ろ向きではなかったからですね。

前置きが長くなってしまいました。
それでは、よろしくお願いします。



手術の時間は予定より1時間くらい遅れたそうです。
術前の内診でなかなか位置がつかめなかった左の卵巣は
癒着していたらしく、それをはがすのが少し大変だったそうです。
両親は術後すぐに説明に呼ばれたらしく
摘出したものを見たそうです。
写真をお願いしておけばよかった・・・
 
人間の臓器なんてよく見れたなぁと思います。
母は医療関係で仕事をしていたので大丈夫だったかもしれませんが
父はよく平気だったな、と今でも不思議です。
しかも母は、最初の筋腫があった場所について
自分から質問し、確認したみたいですよ
先生が示してくれた場所は少しガサガサしてかさぶたのような感じだったと
言っていました。ちょっと見たかったです。
 
それはさておき。
今回は術後の記憶がそれなりにあります。
気管を通っていた管が抜かれたのも覚えています。
痛いとブログも読んだことがあったのですが
まだ完全には覚醒していなかったので
特に痛みは感じず、喉がゴソゴソしたことだけ分かりました。
エレベータから個室への移動も認識できていました。
ただ、感覚や出来事は覚えていますが
その時何を見たのか、何を思ったのかはちょっとわかりません。
この点に関しては、覚えていないのではなく
あまり見えていなかったし、何も考えていなかったんじゃないかなと思います。
視力が悪いというのもありますが、麻酔のせいでしょうかね。
 
個室に入ったのは夜の7時前後だったと思います。
意識はあり、周囲が話していることがなんとなくわかりました。
この時に幻覚などを見やすいそうですが、私は何もありませんでした。
ただ、とにかくだるかったです。
 
術後は患者への負担を考慮し、見舞い人は早めに帰るよう勧められるそうですが
私はそんなこと知りませんでした。
個室に戻ってあまり時間が経たないうちに母親が「そろそろ帰るね」と言った時
持てる力を振り絞って首を横に振りました。
(ただ、母は気づかなかったらしいので、
首を振ったつもりが実際は動けていなかったみたいです)
しかも父の声で「おっても意味なかろー」という声が聞こえ
ものすごい腹が立ったのを覚えています。
まぁ、その通りなんですけど、でももうちょっといてほしい!!
 
今思えばですよ。
午前10時頃から来て12時過ぎに待合室に入り
7位近くまで待ちぼうけなわけですからね。
患者と家族双方のためにも早く帰る方がよいでしょうね。
 
それから。
意識がもうろうとしている間はまだ気分が良かったような気がします。
良かったというか、分からなかったのかな。
その中で、主治医の先生と執刀医の先生が別々に部屋に来てくださいました。
手術内容の説明だったのですが、
私はまだろくに話ができないので何も言えず、何を言われても全く頭に入ってきません。
今その話するー?なんて思いながら必死でヒアリングしました。
しっかり聞いたのは以下の2点です。
・開腹して確認した範囲では病変はなかった
・腹水があったので検査に回している
 
よかったとか残念とか思う余裕もなく、とりあえずうなづいていました。
それから徐々に意識がはっきりとして
長い長い夜が始まりました。