佐藤めがねの闘病記録

子宮平滑筋肉腫と告知されました

最初の退院 2016年10月

病理医からの説明を受けた後からの話に戻ります。

 

あまり考えてもどうにもならない事は分かっていましたし

私も母も「悪性度不明」という病気ではなく

判断ができない状態だと勘違いしていたので

大学病院では良性だと言われると信じるようにしていました。

 

術後7日目の朝、血液検査の結果を持って先生が来てくださいました。

貧血について、完璧な数値でないものの大丈夫と言うことで

退院の許可が下りました。

ヤッタネ!!!

ただ、その時はまだ大学病院での診察の予約がとれていないため

決まり次第連絡が入ることになりました。

 

その日は母が来る予定はありませんでしたが、

昼過ぎに様子を見に来てくれたので

翌日退院が決まったことを報告し、

使わないであろう荷物を持って帰ってもらいました。

この時、向かい患者さんの歩く時のスリッパ音があまりにうるさく

かなりイライラしていたので退院が決まってものすごくうれしかったです。

 

余談ですが、入院時に同室だった患者さんはすぐに退院し、

その後入院された患者さん達もこの日までに全員退院していました。

退院の前日は部屋に一人の予定でした。

結局スリッパさんが戻ってきたから一人ではなくなりましたが。

私以外は何の病気かは知りませんが、

開腹手術ではなかったようです。

やっぱり、手術をするなら腹腔鏡の方がいいのかなぁ、なんて

その時も思っていました。

内容によりますけれどもね。

 

いよいよ退院の日の朝。

ラッキーなことに大学病院の予約が取れたらしく

日程を教えてもらえました。

また、必要書類もすべて用意できたという事で

受取に再度来院する手間が省けました。

 

朝もちゃんと貧血の注射をして

入院時に履いてきたスニーカーが履けずに(前かがみできない)四苦八苦し

結局スリッパ代わりの靴で帰りました。

ちなみにお会計は10日間の入院、開腹手術1回で限度額認定証を提出し

たしか8万円くらいだったと思います。

 

帰りに看護師さんに見送ってもらっているときに

母親が冗談で「またお世話になるかもしれませんがw」と言っていて

本気で怒りました。

しばらく根に持ちましたね。

母親としては、筋腫が悪性でも

そんなひどい病気だと思っていなかったんでしょうか。

これについてはあとで傷ついたから言わないでとお願いしましたが

多分よくわかっていないと思います。

 

この日はタクシーで家まで帰りました。揺れが少しお腹に響いたかな。

でもそこまで痛くありませんでした。

家とは私の一人暮らしの家です。

退院後はしばらくして仕事に復帰するつもりでしたので

特に実家に帰る必要性を感じておりませんでした。

荷物を置き少しだけ休んでから

母親のリクエストのスパゲティを食べに近くのデパートへ。

いやーーーー最高に美味しかったですね!!

病院食がまずいといは思っておりませんでしたが

やっぱり外のご飯とは比べ物にならない!

 

その後、しばらく重たいものが持てない事を考えて

一緒にスーパーへ買い物に行き、当面の食材を買い込んで帰宅。

母はそのまま実家へ帰っていきました。

 

最初はニコニコしていました。

久しぶりの我が家!嬉しい!!最高!!!

とりあえず布団に横になり、自分が退院した事を実感していると

段々と恐怖心が膨らんできました。

 

もし悪性だったら?

子宮を取るの?

本当にそれだけ終わるの?

私、死ぬんじゃないの!?

嫌だ!死にたくない。

 

この時初めて死というものを意識し、

怖くてたまらなくて布団で号泣しました。

大げさと思われるかもしれません。

でもこの時の自分は大真面目で死を感じ恐怖ばかりでした。

 

このまま一人で夜を過ごしていける自信がない。

私の部屋は高層階ではないものの1階2階ではありません。

夜にあまりに辛くなって衝動的に飛び降りたら死ねてしまうと思い

親に連絡し急いで家を出て実家に帰ることにしました。