佐藤めがねの闘病記録

子宮平滑筋肉腫と告知されました

1回目手術当日その4夕方 2016年9月

こんにちは。佐藤です。

 

今回も手術当日について書いていきます。

一回で終わらせようと思いましたが、結局分けました。

書いているといろいろと思い出して、それを全部書きたくなりまして……

 

1点、読み返して訂正。

術後に点滴をしたのは、病室に戻って1時間後ではなく、もう少し後らしい。

母親は術後の私の様子をメモをしていたものの、輸血の時間は書いていなかったようで

結局その辺の時間経過はよく分かりません^^;

とりあえず、私が思っていた「病室に戻ってすぐ」ではありませんでした。

 

では続きです。

たぶん一度ちょっとしっかり目に眠ったんだと思います。

自分のいびきで目が覚めたような気がしました。

それを母親に確認したのですが、

思ったよりすんなりと言葉が出てきました。嬉しい。

どうやらしっかりはっきり目覚めた様子。

 

それから急激に襲ってきたのはのどの渇きでした。

以前書きましたが、前日夕方から頭痛と吐き気で

指定よりもかなり早い時間から絶飲食をしていた私。

意識が戻ってきた頃はそれからちょうど24時間くらいたっており

丸一日飲まず食わずだったということです。

何をどうしてものどが渇いてたまりません。

 

入院時に「入院計画」のようなものをもらっていて

前日には何をして、当日はどういう状態でどういう食事内容で、といったことが

細かく説明されています。

そこに「当日は許可が下りれば飲み物可」とありました。

 

水、水が飲みたい……

 

術後は看護師さんが定期的に細かく様子を見に来てくれます。

1回目「うーん、まだダメですねー」

2回目「そうですねー、まだその話は聞いてないですねー」

 

もう半ギレです。

 

その日、同室に私の次に手術をした方がいらしたのですが

その方はなんともう水を飲んでいます!

腹立たしい!!!(その方は全く悪くありません)

隣にいる母親との会話ものどの渇き以外は覚えていません。

「まだ飲んだらいかんの!?」と母にクレームをつけていました。

母が知るわけがないのに。

しまいには

「看護師さんにちょっと聞いてきて💢」と母親に指図まで。

 

優しい母は、ちゃんとナースステーションに聞きに行ってくれて

その後ベッドまで来てくれた看護師さんはお決まりのお返事。

ですが、しつこかったせいか、その後執刀医の先生まで来られて

「ちょっとねー、明日朝までは様子見でやめておいた方がいいですね」とお達しあり。

しょんぼりもしょんぼりでしたね。

 

母曰く、

「昔は氷をなめるくらいだったら、術後の患者さんに許可していたんだけどね」

氷!?なんて素晴らしい!!氷なめたい!!!

でもそれは昔の母が勤めていた病院での話。

現在のこのN病院で私の状況では不可なのです。

 

ここで母親が「ちょっと口を開けて」といって

口の中を湿ったガーゼで拭いてくれました。

なんて気持ちがいいんだ、口がすごく潤う。

まだ羞恥心があった私は恥ずかしい上に申し訳ない気持ちがあったものの

背に腹は代えられないのです。

母親に何度もお願いしていました。

 

ちなみにこの時、発熱しており、氷枕を借りていました。

4日間は38度を超えたままでしたが、風邪のようなキツさはありませんでした。

 

輸血が終わったのがいつだったかは覚えていないのですが、

ぽつぽつ母親と会話している間に血圧が90まで回復しました。

母親は数値を見届けて安心して帰っていきました。

「恥ずかしい事なんてないから、ちゃんと看護師さんに頼むのよ!」と

ガーゼとコップの水の位置を再確認しました。

 

壮絶なのどの渇きと闘いながら、時間が過ぎるのをただひたすら待ちました。

消灯してもしなくても私にはあまり関係なく、

とにかくのどが渇いてたまりません。

最初に看護師さんに口の中を拭いてもらようお願いするのはものすごく勇気がいりました。

嫌な顔せずにしてくださって本当にありがとうございます。

 
続きます。