佐藤めがねの闘病記録

子宮平滑筋肉腫と告知されました

病理検査結果についての不安 2016年9月

術後の色んな経過は前回で終わりとします。

もし何か思い出したらまた付け加えたいです。

 

ここから少し悲しい気分です。

このあたりは2度の手術と5か月の抗がん剤治療において

精神的ショックが一番大きい時期でした。

初めてごっそり脱毛した時もショックは大きかったですが

告知とはちょっと比べものにならないです。

 

では、術後6日目から話を進めていきます。

 

術後6日目というのは、ちゃんとした診察が入っている日でした。

処置室のベッドで寝たり起きたりが大変だったのは

前に記事に書いたと思いますが、

そこで傷口に異常が無いかを見てもらい、その後エコーもしました。

特に悪いところもなく話は退院について。

まだ貧血の数値が改善されておらず、

見た感じもまだきつそうなので、と言われ

退院はもう少し様子を見てからになりました。

そこで先生が一言、

「細胞検査の結果が出たのですが、お母様はいつ来られますか?」

 

え?

お、お母さんなら毎日来ていますので明日も明後日も来ますが……

 

胸騒ぎがしました。

なんで今言ってくれなかったんだろう。何かよくないことでもあるの?

 

その時はもちろん具体的な病名までは考えられず、

どういう事なのだろうと疑問を感じ、

考えれば考えるほど不安が増していきました。

親にそのことをメールし「明日泣いてたら慰めてね」と付け加えたところ

そういう事を言わないで、とちょっと叱られてしまいました。

 

検温の時に看護師さんにちょっと聞いてみたりしました。

親と話をするって良くないのかなーと思って不安です、と。

看護師さんは、貧血の事もあるし退院について

ちゃんとご家族とお話したいんじゃないでしょうかね、と

いい風に言ってくださったので、頑張ってそれを信じようとしました。

 

それからできるだけその事自体を考えないでいようとしていたみたいで、

その日のつぶやきを読み返すと、あまり触れていないです。

 

しかし、現実はちょっと酷なものでした。

 

翌朝、いつものように先生が病室に来られましたが

その日の母との面談の時に病理医からも話を聞きますか?と

聞かれました。

ただの検査結果でそこまでする必要はないだろうと思い

思い切って聞きました。

 

「そんなに悪いんですか?」

「うーん……悪いともいいとも言えない結果が出ています。」

そこでまず筋腫ではなかったということをはっきりと言われました。

今後の事は慎重に考えなくてはならない、と。

とりあえず、先生がご提案くださるならと、病理医の先生の説明も

聞かせてもらえるようお願いしました。

 

それから、母親に会話の内容をメールし

ずっとベッドでグズグズと泣いていたと思います。

良くも悪くも無いということはどういうことなんだろうか。

とにかく不安で仕方ありませんでした。

 

その日はもともと母方のおばたちが揃ってお見舞いに来てくれることになっており

不安はあったものの、人が来ていたら落ち込んでいる暇もないので

笑って記念撮影などしながら過ごすことができました。

その間は不安や恐怖をまぎらわすことができ、とても助かりました。

遠いところ来てくれて本当にありがとうございます!

 

続きます