佐藤めがねの闘病記録

子宮平滑筋肉腫と告知されました

開き直って会社に報告

母親に八つ当たりした後で兄にも連絡しました。
匿名のSNSでも動揺した気持ちをたくさん吐き出しました。
でも誰も「○月○日頃からはじめたら?」と
具体的な提案は出してくれません。
当たり前です。
自分で決めなくてはなりません。
 
分からない。いつがいいんだ・・・・・・
それで出した答えは
「今は決められない」というものでした。
 
手術も終わってないのにそんなのどう決めればいいんだよ!
そう頭の中で繰り返しているうちに、しっかりと開き直ることができました。
 
これは功を奏しました。気持ちがすとんと落ち着いたんです。
まずは手術、正確には術後の回復に専念しよう。
その後でまた考えて相談して決めればいい。
仕事が続けられなくてもそれは仕方がない。
働くことを辞めたくはなかったけど、でも大事なのは
心も身体も万全の状態でいることじゃない?
将来のことを不安に思っても仕方ない、今を解決しないと。
 
開き直ればあとの行動は早いです。まず派遣会社連絡しました。
そして、正直に先のことは今は何も考えられないと伝えました。
術後どれくらい休むかが分からない、
その後いつからまた休むか分からない
抗がん剤もどれくらいのペースか分からない。
次の契約更新時にそれらが分かるようになっているかも分からない、
どうすれば見えてくるようになるのかも分からない。
 
派遣会社の担当の方も、どうすべきかは私からは言えません、
でもすごく考えたんだろうなって伝わってきますと言ってくださって
とても救われた気がしました。
 
翌日には派遣先の担当の方と部長と三者面談のような形で報告しました。
最初の手術の後に、この先も治療が続くことは話していましたが、
この最終診断まで希望を捨てきらなかったので
詳細は伝えておりませんでした。
最初の手術の結果が悪性だったこと、
これから再手術と抗がん剤を受けると決めたことをはっきり言いました。
 
そのうえで、今は手術を受けることにだけ集中したい、
抗がん剤の時期については今は全く考えられない、
契約更新の時期に間に合わないかもしれないが
それを考慮する余裕がない。
そう、素直に話ました。
 
派遣先の方は、
契約更新が間に合わず仕事を辞めることになったとしても
あなたの席は残しておいてあげるから
今は治療に専念しなさい。しっかり治してまた戻ってくればいいから、と
そう言ってくださいました。
 
まだ派遣されて一年もたっていない、専門知識も何もない
役に立っているとはいいがたい派遣社員の私に対し
これ以上ないお言葉でした。
泣くまいと思っていましたが、こらえきれませんでした。
このありがたいお気遣いはこの先もずっと忘れません。
本当にありがとうございます。
 
話したいことを話してしまえば、かなり前向きになれました。
あとは子宮を取ってしまえば何もかもうまくいくんだから。
っていうかさ、取った後の病理検査では何もないんじゃないかしら?
そうよ、絶対そう。取らなくてもよかったレベルの状態のはず。
だからこの先も絶対に生きていける!間違いない!!
常に良い方に、無理にでも良いことを考えていました。
悪性細胞が付け入るスキを与えないようなイメージで。
 
入院が二日後に迫っていました。