佐藤めがねの闘病記録

子宮平滑筋肉腫と告知されました

術後の歩行について 2016年9月

術後の経過については、時系列ではなく症状別に

まとめてみたいと思います。

自分の中でその方が分かりやすいかな、と思いまして。

では早速。

 

手術の翌日から歩くと聞いていましたが

全く歩ける気がしていませんでした。

 

まずベッドに座ることから難しかったです。

想像以上でした。

正確には、座ることが大変だと想像すらしていませんでした。

そうか、歩くにはまずベッドから降りなくてはいけないのか。

そのためには身体を起こさなくてはならないのか。

 

看護師さんのアドバイスを受けながら無事に座ることに成功。

そかしそこから立ち上がるのもこれまた難しい。

母と看護師さん二人に支えてもらい、なんとか点滴台にしがみつく。

立ってしまえば歩くのはそこまで大変ではない気がしました。

 

でもそう順調にいかないのが世の常ですよね。

5歩くらい、大部屋を区切るカーテンを過ぎたあたりで

ものすごく気持ち悪くなってきてしまい、

それ以上の歩行は断念しました。

母が「顔色が一気に白くなっていったよ」と言うので

どうやら貧血を起こしたのでしょう。

悔しかったです。でもちょっとほっとしました。

だって歩くのきついんですもの。

 

なお、座ってベッドに再度横になるのもとても苦労しました。

あれ?座るってどうするの?横になる時ってどういう順序?

普段のこんな当たり前の動作がいかに腹筋に支えられているか思い知らされました。

 

しかし、私は神様にクソ真面目に頑張ると誓った身。

ここでも役立つのは経験者のブログです。

「開腹手術 立つ」で検索し、帝王切開後のベッドからの起き上がりを

写真付きで説明してくれているブログにたどり着きました。

これだよ、これ!こういうのを求めていた!!!!

 

写真の通りに身体を動かし

ベッドのリクライニングを利用し

(最初の歩行時は、リクライニングを駆使して立ち上がるという発想がありませんでした。

そりゃきついよ)

さっきとは比べ物にならないくらい痛みも少なくベッドに座ることができました。

気持ち悪くなるのが怖くて、その時はすぐにまた横になる動作を練習したのですが

しばらくして、なんとなく立てる気がしました。

ただ、気持ち悪くなった時に少し恐怖を感じたので

その日は歩くのはやめました。絶対に明日は立とう、と思っていました。

 

術後二日目の朝を迎え、ブラインドが朝日を遮っているのに気づいたとき

それを自分で調節したくなってきました。

ベッドから窓までは2歩くらいです。

やってみよう。

前日と同じようにリクライニングを駆使し無事に座ることができました。

少し休憩し点滴の位置をベッドと窓の間に置き手を伸ばしてゆっくり足を床につけると

 

立てました!!嬉しい!!

そして歩けました!!!

更にちゃんと戻れました!!!!

 

これも親に自慢してやろうと、したり顔でベッドに戻りました。

 

ようやく歩行に成功したその日、尿道カテーテルが外れました。

昼過ぎには兄家族がお見舞いに来てくれて、

病室のある階→1階→売店との往復を全員でやり遂げることができました。

点滴台を支えに超ゆっくり。

わずかな段差も傷に響きますがゆっくりいけばなんとかなるもんです。

母親は毎日お見舞いに来てくれていたのですが、

飲み物を持ってくるのをストップしてもらい、

毎日売店に一緒に買いに行くようにしました。

母が帰る時はエレベーターまで必ずお見送りをし、

食事前後のお水は一杯ずつ給湯室へ取りに行く。

毎食後箸を洗いに立ち、飲み終わったペットボトルは1本ずつ捨てに行く。

 

こうやって歩く理由を作り回数を増やし、クソ真面目に頑張りました。

歩けるようになると、どんどんできることが増えていき、

みるみる回復していきます。それを実感できます。

めちゃ痛いんですけども、腸閉塞にはなりたくなかったですし。

 

これについては、少し兄と話し込んだことがありました。

病気やケガでおじいちゃんおばあちゃんが寝たきりになる気持ちが

よくわかるね、と。

歩いた方がいいと会う看護師さん全員に言われましたが

その歩くまでの所作が本当に苦痛なんですよね。

ベッドから立ち上がるまでが大変で大変で。

その苦労を考えると、寝たまんまでいたいという気持ちがよくわかります。

自分がおばあちゃんになってどこか悪くなったときは

速攻でリクライニングベッドをレンタルしようと思いました。

 

まずベッドで起き上がれないと!!すべてはそこからです!!