佐藤めがねの闘病記録

子宮平滑筋肉腫と告知されました

1回目手術当日その1 2016年9月

こんにちは。佐藤です。
毎日更新しようと思ってましたが三日坊主でした。
早く追いつきたい。
 
次からはやっとこさ手術当日について書いていきます。
予定では3~4に分けて書きます。
その1 準備~目が覚めるまで
その2 目が覚めた後の私の記憶
その3 目が覚めた後の母の記録
その4 手術した夜
こんな感じにする予定です。

ではその1からです。レッツゴー。
 
翌朝には頭痛は落ち着いていました。
朝一の手術なので飲み物はすでに禁止。
やることなく、かといって散歩する元気もなく
ベッドに横になって母親がくるのを心待ちにしていました。
 
ベッドに座るとカーテンの下からここに来る人の足元が見えます。
なので足音がするたびに除いていました。
この足は違うな。先生でした。
 
前日の事をもちろんご存知だったので
「薬が合わなかったんでしょうね。
昔一気飲みして豪快にもどした人もいましたからね」と
ちょっと面白い話も交えてくれながらの挨拶でした。
 
入院が初めてなので、新しく知ることがたくさんあるのですが、
入院中って毎日先生が来て下さるんですね。
あと、執刀医と担当医って別なんですね。
この日以降毎日先生が2人来てくれました。
土日はお一人でしたがそれでも医師と患者が話す時間が必ずあるとは
正直驚きました。
イメージですけれども、医師はもっと遠い存在で軽々しく話せないというか
そんな気がしていました。
患者としては大変ありがたいですし、入院中の一つの楽しみでもありました。
 
少しして母親が着きました。
前夜の話と先生が来てくれたよ、と嬉しく報告し(毎日来るもんだと知らなかったので)
当日の準備を開始。
手術着に着替え、荷物を確認。圧縮靴下をこの時履いていったっけ?
あとは時計とにらめっこ。
とにかくめちゃくちゃ緊張していました。当たり前ですけど。
 
そろそろかな、というときに看護師さんが「呼ばれましたよ~」と迎えに来てくれました。
すぐにツイッターに「呼ばれた!行ってきます!」と報告し、
普通に歩いていきました。
 
ドラマ等で手術のシーンを見たことはありますが、
その内容とは全く異なっていました。
闘病全体を通しても、ドラマと一緒だったのは
脱毛シーンくらいでしたね。あとは全部違うよ!
 
N病院では看護師さんと二人で歩いて手術室に向かいました。
ベッドに乗せられて、家族と手を握って「頑張ってくるからね」とか
そういうのは全くなく、
エレベーターまで3人で歩いていき、
ドアが開いてじゃあねーと笑顔で手を振りました。
前日からの点滴も自分で押していきます。
 
手術室の手前の隅っこにちょこんと座って待機。
眼鏡をこの時看護師さんに渡しました。
ここで病室用の靴と手術室へのスリッパに履き替え
あまり見えない状態で手術台のある部屋へ。
台に上るのも自分。普通によっこらせと横になります。
 
ここからはあっという間でした。
横になった途端にばっとバスタオルをかけられ、ざざっと服を脱がされ
酸素マスクをかぶせられ
「ちょっとピリピリするかもしれません~」との説明と同時に麻酔が流れ始め
「あ、ピリピリします」「大丈夫ですかー」と腕をさすられ……
 
次に気づいた時は病室でした。
 
全身麻酔についてもかなりブロを読んでいたのですが、
術中に麻酔から覚めた人も稀にいるようで
不安はやっぱりありました。
でも「不安があると的中するかもしれないから大丈夫だと信じよう」と
心の中で「大丈夫」と唱え続けました。
 
おかげで(というか、当たり前)そういうことは全くありませんでした。
手術も眠るのも一瞬。
胃カメラの鎮静剤の時も思ったのですが、あれって徐々にくるものではないんですね。
皆さんもそうでしょうか?
なので、「眠くなる気配がない。本当に効いてるn……」と
不安がっているうちにストンと眠ります。
 
後々母親と話していて、
術後の自分の記憶がかなり飛び飛びでしかも前後していると気づきました。
麻酔の力ってすごい。
今でも覚えている事はいくつもありますが、
時系列があまりよく分かりません。
 
続きます。