佐藤めがねの闘病記録

子宮平滑筋肉腫と告知されました

1回目手術当日その2 私の記憶 2016年9月

こんにちは。雨ですね、寒いですね。

隣の建物にお弁当を買いにいったのですが

気を抜いて傘を持たずに行ったらかなり濡れて身体が冷えています。

 

では、さっそく続きに入りましょう。

まずは私の術後の記憶を紹介します。

 

手術直後に手術室のある階の廊下をベッドで移動していた事を少しだけ覚えています。

ほんの一瞬だけです。多分すぐ眠ったのでしょうね。

次に目が覚めた時は部屋に戻ってきていていました。

モニターが付いてて酸素マスクをしています。

既に気管を通っていた管は外されていたので、どのようにされたかはわかりません。

直後のお腹の痛みも記憶にないです。

母親が隣にいるのを確認しました。

「まどろむ」という単語がぴったりな状態でした。

沼の中で何も考えずにたたずんでいるような。

 

すると、看護師さんが徐々に集まってきてちょっとワタワタし始めました。

執刀医・担当医の二人の先生も後から来られました。

何を話していたかは覚えていません。

ちょっと診察します、か何か言われたような。

 

エコーの機械が到着。まさかのベッドの上で内診。

 

内診のため足を曲げたり広げたりしなくてはならないのですが

全く力が入りません。

機械のコードとベッドの位置がうまくいかなかったようで、

あれこれしながらちょっと先生が笑ったりしていました。

「笑ってんじゃないよ、早く終わらせろよ」と

私の中の不良が心の中で怒鳴り散らしていました。

(全然怒るような事ではありません。心が狭くなっていただけです)

 

先生と看護師さんが一生懸命足を支えてくれて内診が始まりました。

足を支えられずどうしても勝手に閉じてしまい、先生がそれを支えています。

「足、支えられなくて……」と

ほとんど話せないのになぜかこれだけ頑張って言っていました。

いいんですよーとなだめてくれました。

 

これと前後して、担当医の先生が肩を叩きながら

「佐藤さーーん、輸血しますねー」と大きな声で言ってきました。

看護師さんが輸血の準備をてきぱきと始めました。

これも今回の入院で知ったのですが、点滴って管と針の間に

なんていうのかな、ジャンクションみたいな菅がいくつかあって

そこに注射や別の点滴の管を通せば

新たに体に点滴針を刺さなくていいんですね。

左手にある点滴のジャンクションのうちの一つを輸血用として

看護師さんが処置していました。

 

その後先生が「(右も左も点滴していたので)どっちで輸血しようか」と呟いてらしたので

「さっき看護師さんが左手に準備していましたよ」と言いたいけど

きつくて何も言えない。左手を上げてアピールもできない。

念じる力も持てずにただ「あーー……左…」と頭の中でつぶやいたら

先生が気づいてくれて、左腕から輸血がスタートしました。

 

次に目が覚めた時は外が明るく頭を窓の方へ動かしました。

すぐに母親がのぞき込んでくれて

「どうかした?大丈夫?」と聞いてくれたのですが。

すごく申し訳なかったけど、何も答えられませんでした。

とにかくだるくて

会話もうなずくことさえも面倒でした

なのでそのまま目を閉じうとうと、を繰り返していました。

 

……と書きましたが、この母親を無視してしまったのと

輸血とどちらが先なのか分かりません。

ただこの二つをはっきり覚えています。

 

この後多分少し長めに眠ったと思うのですが

目が覚めてから徐々に会話ができるようになってきました。

 

この辺から私の記憶と母親の記録(そう、ちゃんとメモしてたんです親は)が

合致してきます。

麻酔から100パー覚醒したのかな。

 
次は母親の記録を紹介します。