佐藤めがねの闘病記録

子宮平滑筋肉腫と告知されました

カフェで話して 2016年10月

お仕事に復帰した日にそのまま実家に帰ったので、
日曜にはまた自分の家に戻ってこなくてはなりません。
一度目より二度目の方が気持ちが乗ってきませんでした。
ここは、前とは別の先輩のお力を借りるしかない……
日曜の夜にお茶をしませんか、とその先輩にお願いしたところ
お時間を作ってくださいました。
 
告知の翌日から、私は病名を口にするのが嫌で
病名を人に知られるのが嫌で、言わなくなりました。
そこで人生最大の「お察しください」スキルを発動しました。笑。
正直に言葉で「お察しください」と伝えましたよ、えぇ。
悪性だったことと再手術について、泣きながら話を聞いてもらいました。
 
子供が産めなくなるのは悲しいけど……と言うと
「そんなのどうでもいいよ、命が大事よ」
そう、はっきり言ってくださいました。
 
最初から摘出手術に対して迷いはありませんでした。
ただ悲しみがあるだけでした。
それどころではありませんでしたが、産めなくなる辛さは当たり前にあります。
そういう時に、はっきりと背中を押してもらった、そう感じました。
この言葉は誰に対しても有効だとは思いません。
傷つく人もいます。かなりひどく傷つくかもしれません。
ですが、あの時の私にはとても力強く響きました。
私が信じて突き進む道を100%肯定してくださったんです。
 
とても嬉しかったです。
 
帰り際には
「ちょっと、受け入れられないね」ともおっしゃっていました。
病気に立ち向かう気でいましたが、
そうか、受け入れなくてもいいのかな。
ちょっとだけ、気が楽になりました。
 
気持ちを明るくしてもらい、翌日は一日仕事を頑張りました。
火曜日はCTですので、出勤は今回も一日だけです。
復帰するのによいペースです。
 
病気についてのあれこれは
人を選んで話すようにしました。
話した人全員から全力で応援してほしい、励ましてほしい。
ちょっとでも私の未来を疑うようなことはしてほしくない。
病気の事を知っている人は全員私の味方でいてほしい。
 
病名を離さなかった理由もここにあります。
ネットで調べれば残念な状況が多く目につきます。
もし、誰かが好奇心で調べて
「佐藤さん、もしかしてやばいんじゃない?」
なんて、思ってほしくありませんでした。
 

話をするかしないかについていろいろと書いていたのですが
文章にすると
「私ってそんな性格悪かったのか!?」と悲しくなってきたので
この辺で切り上げます。
誰に言う、言わないは本人の自由だし
言わない事は悪いことではないと、そう思っています。
それは、告知後から闘病に向け少なからず弱っている
自分を守る手段でもあります。
 
誰に対しても誠実でありたいという考えて生きてきましたが
その結果、作らなくていい傷を負うこともあります。
だったら、言わないでおけばいいんだな、って。
言わない事が不誠実という事でもないんですよね。
 
ちょっと学んだ気がします。