佐藤めがねの闘病記録

子宮平滑筋肉腫と告知されました

前向きに考えるということ。仕事復帰に向けて 2016年10月

仕事の復帰については、入院前に目安の日を伝えていました。
欠勤申請の登録が必要だったこともあり、
医師に確認した通りの術後3週間目頃にしていました。
それ以降はもちろん普通に働くつもりでしたが
そうもいかなくなったのは前回までの記事の通りです。
仕事を辞めなきゃいけないだろう。一人暮らしももう無理かな。
 
その時はその時、貯金残高を計算し直して
いざとなったら親に借りて治療を頑張ろう。
そう前向きに考えながら派遣先への面談に向かいました。
 
派遣先ではわざわざ別室を用意してくださり、
プライバシーに配慮してくださいました。
こういう小さな配慮、とても嬉しいものです。
 
現状とこれからの事を話しました。
これからの事、といっても未来は全く見えず
検査日と手術日、その後は抗がん剤を受ける可能性が高い、と
直近の分かり切っている内容しかお伝えできる事はありません。
泣かないようにしよう、と思っていましたが
やはりこらえきれず涙が出てきます。
 
この時点での派遣契約期間は12月末までありましたが
そういうの関係なく当月で切られると思っていました。
長期で働けないのであれば困るし、
そういう時にすぐ人員を切り替えられるのが派遣のメリットでもあります。
 
しかし、派遣元の考えは違うものでした。
現在の契約期間までは多分働けるであろうことを最初に教えてくれました。
また、派遣は最短で1ヶ月単位で契約が可能なので
次回からは体調をみながら続けられる限り毎月更新で契約できないかかけあってみようと
あくまで働き続けることを前提で話を進めていってくれました。
もちろん派遣ですので、契約を更新するかどうかは派遣先が決めます。
ですが、こちらとしては働きたい意志を伝えていこうという事で
話がまとまりました。
 
大変ありがたかったです。
全てにおいて頑張って前向きに考えているつもりでした。
しかし、無意識に悪い方へ考えていたことに気づきました。
そうか。来月・再来月と私は自分の未来を考えてもいいんだな、と
この時ふとそう思えたのです。
前向きに考えるってそういう事なのかな、と目からうろこでした。
 
そうして、派遣会社と話をした翌々日に営業の方と一緒に派遣先へあいさつに伺い
さらにその翌日には仕事に復帰しました。
この時点では、派遣先には詳しく話す気持ちになれず
手術結果が良くなく、来月再手術になったとだけ伝えたかと思います。
 
復帰の日は金曜日だったので、
翌日からまたすぐ休みというのも、身体への負担を考えるとよいタイミングでした。
もちろん、すぐに実家に帰りました。
こうして、最初の職場復帰をかなえることができました。
休みや遅刻がずいぶんとあるのですが、
それでも日常に戻れることはとてもとても嬉しい事でした。
 
何か不安な事があると
無意識に悪い方へ考えてしまうのは仕方ないかもしれません。
そこからプラスに転じるように考え方の舵を取るとよいと思います。
ただ、私はこの頃から「何事も良い方へ進む」と
意識的に考えるように努めました。
プラスに転じさせるのではなく、最初っから良いんです。何もかも。
この考え方のクセがつくと、なんだか楽になった気がします。
悪い事を良いと捉えなおすよりもシンプルではないでしょうか?
 
楽観的でいることが苦にならないのであれば
おすすめの発想の転換方法です。